マヤ料理とは2005/03/25

 マヤ料理で有名なのは、トウモロコシの粉を焼いたトルティーヤと、豆を煮込んだ料理です。ただ、500年前のコロンブスのアメリカ大陸上陸のあと、数々の食材がヨーロッパ・アフリカ・アジアから入り込んでいるので、それ以前のマヤ文明の料理を再現するのはとても難しいことです。文化が融合していきますから、料理も変化していく。
 トウモロコシのトルティーヤの基本的な作り方は昔からあまり変わっていないようですが、豆料理の方は豆の品種も増えているし、中央アジアが原産地といわれるニンニクが基本的な味付けに使われています。メキシコ料理で有名なタコスにしても、トマト・たまねぎ・コリアンダー・ニンニクが欠かせない食材となっていますが、トマト以外はすべて中央アジアや地中海が原産地のようです。
 マヤコーヒーはマヤ料理をご提供しようと考えていますが、前述しましたように、マヤ文明最盛期(1000年以上前)の料理をつくるということは難しいので、現在のマヤ系先住民が食べている料理で、日本人の口に合いそうなものを考えております。
 内装工事に遅れもあって、開店時期はまだ確定しておりませんが、5月中旬までには開店したいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 
4月の閉店日2005/03/22

 4月10日ころから下旬まで、グアテマラのコーヒー生産者からコーヒー豆を引き取るために現地にいってくる関係で、週に何日か臨時休業しなければなりません。今のところ4月13日(水)、18日(月)、23日(土)、24日(日)という予定でいます。どうぞご了承ください。なお、変更がある場合にはすぐにお知らせいたします。
 
グアテマラ点描の写真更新2005/03/16

点描の写真を更新しました。ご覧ください。
 
生産者のページ更新2005/03/13

生産者のページを更新しました。新たに2人の生産者の紹介をしています。ご覧ください。
 
まだ冬です。2005/03/12

北海道の冬は長い。3月も半ばになるというのに、まだ気温は零下の日々です。コーヒー生豆もすっかり冷えていて、焙煎機に豆を投入すると一気に釜の温度が下がってしまい、立ち上がりに時間がかかる毎日です。外気温と室温との温度差がありすぎて、焙煎機の排気ダンパーを閉め気味にしないと、釜の熱がごっそり外に吸い出だされてしまうので、北海道独特の焙煎技術(ダンパーの調節と火加減)が必要になります。
 
点描の写真を更新しました。2005/03/08

点描の写真を更新しました。
 
コーヒー市場値上がり中2005/03/08

コーヒー生豆のニューヨーク市場で今年にはいって値段が上昇中です。理由は、世界一を誇るブラジルの生産量が低下していることと、中国の消費量が上昇していることなどの需給バランスが原因とされています。コーヒーもふくめて果樹の生産量は、多い年と少ない年が交互にやってきて、今年が少ない年にあたることから市場価格が上がっています。そのため日本の取引市場ではすでに値上げの動きがでています。
 マヤコーヒー・カフェマヤはフェアートレードをしていて通常より高い価格で生産者から豆を購入しているので、これくらいの価格上昇ではまだあまり影響はありません。
 
グアテマラ点描に新しい写真2005/01/31

グアテマラ点描に新しい写真を載せました。
 
有機認証について2005/01/29

 今年の豆からコーヒー豆の有機栽培の認証機関が、生産者組合の意向によってかわりました。
 新しい認証機関は、ペルー共和国に本部のあるBIO LATINOというところで、認証の基準はEU規格に準じています。ただいま翻訳しておりまして、それが出来次第HPでおしらせします。
 
 
生産者のニュース2005/01/09

 うちのコーヒー豆の生産者のひとりで、HP でも紹介しているホアン・サンチアゴさんの記事が2005年1月3日のグアテマラの新聞にでていましたので要訳します。内容は、グアテマラ内戦で離れ離れになった親子が20数年ぶりで再会したニュースです。

  
36年に及ぶ内戦の結果、おおくの子供が行方不明になった。 “すべて再会のため”という名のプロジェクトを継続しているグアテマラ精神衛生連盟は、行方不明になった子供たちを捜している。
内戦当時に行方不明になった子供の大半が8歳以下ということもあって、現在とは身体的に変化しているので、身元調査は困難を極めているという。

「子供たちは連れて行かれた」
当連盟で扱っているうち265件のうち74%が、子供の行方不明をしばらく届け出ていなかった。その理由は、国軍や自警団に子供たちが連れて行かれたからである。内戦当時、いや今でも多くの家族にとって、沈黙は生き残りの術であるからだ。
また、81%がキチェ県で発生していて、その半数ちかくがイシル地区に集中している。
 
「内戦が引き裂き、DNAが再会させた。」
 9月22日、ネバッハ市サフシバン村の祭。ホアン・サンチアゴが息子のボニファシオ・セットと再会した。連盟がはじめてDNA鑑定で親子関係を確認したケースである。3年間にわたる調査で身元確認ができず、2004年8月にDNA鑑定に判定をゆだねられたわけである。
 ボニファシオは行方不明になったときに6ヶ月の赤ん坊で、当時の記憶がない。村にやってきた国軍に母親が殺され、彼は村に置き去りにされ、その後やってきた自警団が彼を連れて行き、ある家庭に引き渡したが、その後また別の家庭に引き取られたという。
再会の場には育ての親もネバッハ市からやってきて、ホアン・サンチアゴの家族総出でお祝いをした。

 
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